情報検証研究所のブログ

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【「安全でも安心できない気持ち」とは何か】 ~「浜までは海女も蓑着る時雨かな」~

副題は俳人滝瓢水(たき・ひょうすい)が詠んだ句です。滝は、海運業で豪商だった家を潰すほど遊び、風流を極めて悟った人とされていました。この句は、直接的には「海女だって仕事の直前までは雨に濡れたくはない」という気持ちをうたっております。しかしそれには「海女の気持ち」にかけて、命への優しい諭しが暗喩されていると言われます。
つまり、この歌にはつぎのような含意がありました。
滝が風邪で医師にかかった際に「悟った人が命を惜しむのか」と言った僧に対して、「残り少ない命でも生きている限りは大切にするのですよ」という自分の心を喩えて詠んだのだとされます。(諸説あり)
 
これは、科学的観点(あるいは西洋文化的観点)からは殆ど無意味と言えるでしょう。今から水中に入ろうというのに、その直前に雨に濡れることを避けることには「僅かな時間でもなるべく体を冷やさない」という程の効果しかないでしょう。しかし、情緒的(あるいは和の心的)には、詳述はしませんが複数の大きな意味があるでしょう。
 
◆ 安全と安心のはざまにあるもの
科学的に「安全」が自明である状態と、気持ち的に「安心」を感じられる状態の間には、日本人の多くがもつ、この情緒的な心の働きがあるでしょう。
しかしこの心の領域は、人それぞれに広さが異なります。そのために様々な社会的テーマに関して、「安全でも安心できないのは科学的にナンセンス」とする人と「たとえ安全でも安心できないから反対」とする人に分かれて悉く対立する構造が生まれます。日本において社会的な大勢を占めるのは後者であると思われ、その結果、一見すると「非科学的」な合意決定がなされることが多いのではないかと考えます。
最近の事例であれば、昨秋頃「Go To トラベル」と感染症の流行とのダイレクトな因果関係が不明な(科学的には否定的な)段階で分科会(専門家)も「必ずしも因果関係があるとは考えていないが合意形成のためには中止もやむを得ない」という趣旨の意見を表明しておりました。
 
 
◆「科学的に安全」も絶対ではない
「科学的に安全」というのはあくまでも、「今現在の科学的知見に照らして安全である」ということです。そして、今の科学的知見も永遠に正しさを維持できるとは限らず、むしろ将来的に研究や経験が蓄積されていく中で、不正確さや間違いが発見され更新されて行く可能性もあります。
「優等生的発言」に聞こえるかもしれませんが、今は「正しいとされる科学的な知見」を懐疑し、更新余地を発見するためには、一見すると「非科学的」に見える(朝日や毎日等の)見解や主張も大切です。
 
 
◆ 「良いトリチウム」と「悪いトリチウム」?
事実としてトリチウムには、自然由来であろうと福島の事故処理水由来であろうと違いはありません。トリチウムから出されるβ線にも違いはありません。
しかし、まるで「原発通常運転から発生するトリチウムは綺麗」で、「福島原発事故処理水に含まれるトリチウムは汚い」とでもいうような主張を目にすることもあります。「良いトリチウム」と「悪いトリチウム」があるのでしょうか?
  
 
◆ 現実の命題には、文脈や背景も含まれる
「良いトリチウム」と「悪いトリチウム」があるかのような世間の反応とは、先入観が作り出す幻想によるものです。しかし、人間の本性には、そのような先入観を生み出し、維持しつづけるような感情の働きが組み込まれていると思われます。
例えば、清潔なグラスに、一杯の極めて不衛生な「忌避物質」を入れたとします。それをじっくり見せられた後、そのグラスを洗浄・消毒して最初のように清潔な状態に戻したならば、何の抵抗もなくそのグラスを使って飲物をおいしく飲めるでしょうか?
筆者は理科系の学部で細菌(生物)や化学の実験も経験しておりますが抵抗があります。
 
結局、トリチウムそのものだけでなく、「どのような経緯で生み出されたトリチウムなのか」、「通常のプロセスを経たのか」「事故のようなイレギュラーなプロセスで出たのか」などの「文脈」や背景(≒出自)も含めて、「良いトリチウム」と「悪いトリチウム」が、社会的な意味を背負わされて誕生してしまうのが現実社会です。たとえその差異が科学的にはゼロだとしても、です。
 
 
◆ まとめ
現実の社会では、「科学的に合理的」であることに加えて、「社会的に合理的」であることが要求されます。それを「非科学的思考だ」と非難し侮蔑することでは、現実の問題は解決できません。
一般論として社会は、「情緒的な納得感」や「安心」という問題に向き合い、その観点にも配慮した問題の解決策を探り、進めて行くことが肝要です。
そしてそれはまた、今回の「トリチウムを含む水の海洋放出」の件についても言えることでしょう。
 
(おわり)
 

https://mainichi.jp/articles/20210413/k00/00m/040/072000c

 

【文責:田村和広】
 
 

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